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大木金太郎さん死去 

今朝の新聞で危篤状態ということが報道されていたので驚きはそれ程ではないが、やはり一時代を築いたレスラーの死というのは悲しみを覚えます。
大木金太郎と言えばアントニオ猪木との試合がまず名勝負として思い浮かびますが当時はまだテレビで見ていない時代で全日本プロレスでタイガー戸口(キム・ドク)とコンビで戦っていた時代以降しかリアルタイムでは知りません。レスラーの晩年は国際プロレスにも上がったが最後は全日本プロレスでインターナショナルヘビーのベルトを返上(政治的理由)したが大木選手の寂しそうな顔は当時小学6年の自分にも伝わりました。
今考えると大木金太郎はG・馬場、A・猪木と並んで若手3羽烏と呼ばれていたが決してスターには成れず馬場、猪木が全盛時代の引き立て役?として扱われたような気がしてならない。
猪木が1974年に蔵前で名勝負を演じたあと、G馬場も翌年に同じ蔵前で対決。馬場にしたら絶対に負けは許されず猪木との格の違いを見せ付けるために猪木が要した試合時間(13分13秒)の半分(6分49秒)で仕留めてしまった事など自分の知る限りいくつかある。
人生の晩年は病気療養で辛かったでしょうがこれでユックリと過ごすことが出来るでしょう。静かに天国で師と仰ぐ力道山、そしてG・馬場と日本のプロレス界を見守って欲しいです。 合掌。
 

大木金太郎さん死去 必殺の頭突きで馬場、猪木と激闘 
死去した大木金太郎さん(元プロレスラー)
NWFヘビー級選手権試合で、アントニオ猪木(左)と対戦する大木金太郎さん=東京・蔵前国技館
 必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍した元プロレスラー、大木金太郎(おおき・きんたろう、本名・金一=キム・イル)さんが26日、ソウル市内の病院で死去した。77歳だった。病院関係者が明らかにした。糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。

 1929年2月、韓国全羅南道生まれ。58年に故力道山にあこがれ、船員として貨物船に乗り込み日本に密入国。拘束されるが、力道山が身元引受人となり、59年日本プロレス(当時)に入門。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手三羽がらすとも呼ばれた。63年に米国遠征。65年には韓国でプロレス興業を成功させた。72年にボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座に就いた。日本プロレス分裂後は全日本、新日本、国際の各団体に出場。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ね、韓国での後継者育成にも力を注いだ。

 95年には東京ドームで日本での引退式が行われた。(共同)

by sagamicon | 2006-10-26 18:31 | プロレス関連