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カテゴリ:プロレス関連( 51 )

ラッシャー木村

ラッシャー木村さん、腎不全による誤嚥性肺炎で死去
5月24日18時7分配信 サンケイスポーツ

 元プロレスラーで2003年からプロレスリング・ノアの終身名誉選手会長に就任していたラッシャー木村さん(68)が24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去した。ノアの公式サイトで発表した。

 木村さんは1941年北海道出身。大相撲の宮城野部屋を経て日本プロレスに入門。その後東京プロレスから国際プロレスに移籍した。国際プロレス時代は過激なデスマッチで名を上げ「金網の鬼」の異名を取り、75年にはIWA世界ヘビー級王座を獲得した。

 国際プロレスの解散後は新日本プロレスに参戦。第1次UWFにも参加したが程なく離脱した。その後、全日本プロレスに移籍し、ジャイアント馬場とタッグを組み人気が高まった。マイクパフォーマンスは有名で、数多くの名文句を生み出した。試合後、観客から「マイク!マイク!」とパフォーマンスを求めるマイク・コールが起こるほどだった。

 馬場没後の00年、全日本のエースだった三沢光晴が立ち上げたノアに参戦。前座試合で人気を博していたが、03年3月の日本武道館大会を最後に体調不良により長期休養に入り、04年7月、ビデオレターで引退を表明している。


晩年は前座でメインに繋ぐための会場を暖める試合で楽しませてくれたがラッシャー木村のマイクを決定づけたのは新日本に殴りこんだ時の第一声だろう。
ホント、人柄が出た感じだった。

天国でアニキ(馬場さん)と楽しんで欲しいものです。合掌。
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by sagamicon | 2010-05-24 21:21 | プロレス関連

お手柄!

酔っぱらって入った家にプロレスラーがいた!
4月30日8時2分配信 スポーツ報知

 プロレスラーの鶴見五郎(本名・田中隆雄=61)の神奈川県茅ケ崎市の自宅に、泥酔状態で侵入したとして、県警茅ケ崎署は29日未明、横浜市南区の会社員・田村祐昭容疑者(42)を住居侵入罪の現行犯逮捕した。鶴見と25歳の長男が約30メートル離れた路上で取り押さえた。田村容疑者は容疑を認めているが「なぜ侵入したのか覚えていない」などと話している。70年代から国際プロレスなどで活躍してきた往年のプロレスラー宅であることも知らなかったようだ。


この記事を読んで久しぶりに鶴見五郎の名前を聞いた。
国際プロレス時代は生で試合を見たことは無かったが全日本プロレスに参戦していた時は一部の心無いファンの<ゴキブリ~>というヤジがよく飛んでいた。
主に前座を任されていたが時折見せるテクニックには上手さがあったのを覚えている。
こういった話題でレスラーが取り上げられるのはファンとしては嬉しい限りだ。
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by sagamicon | 2010-04-30 17:24 | プロレス関連

ブロディとビガロ

高円寺でラーメンを食べた後に街をフラフラしていたら↓のような看板を発見!
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プロレスマニアならピンとくる顔、超獣ブルーザー・ブロディの顔。
しかし看板には何故か?バンバンビガロ(BAMBAM88)の文字が。
こうなるとプオタマニアの血が騒ぎどんな店(会社?)なのか気になりビルの中へ。
そこには↓
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(有)バンバンビガロの文字が!

自宅に戻ってから調べたら、その筋には有名なブランドらしい。

楽天SHOP→ バンバンビガロ88
ショップのHPはコレ→BamBamBigelow88

プロレスのマスクや雑誌、ビデオ、DVDなどの専門店は知っていたがプロレスファッション?には疎かったのでこんな店があったのは初めて知った(^^;
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by sagamicon | 2009-12-17 21:22 | プロレス関連

一丸となって

三沢選手死去の一報から一夜明けようやく出来事を冷静に受け止められるようにはなった。

今朝の駅売りのスポーツ新聞のほとんどは関連の記事が一面を飾っていた。

ふだん一面にプロレスを割くことが無いのにこういう時だけ一面にくると言うのは辛い気持ち。

心配された試合も開催されたようで三沢選手も良かったのではないだろうか。

斎藤選手、三沢さん遺影に涙の土下座

今回のアクシデントで最後に技を仕掛けた斉藤選手のことが気になってはいたが試合に出場して

くれたようでファンにとっては良かったと思う。

ここで欠場したりしたらファンは悲しむし亡くなった三沢選手が一番辛いだろうし。

しかし死神をキャッチフレーズとする斉藤選手がこういう立場になってしまうとはなんとも皮肉。

最後に大黒柱を失ったノアだが選手一丸となって熱いファイトを見せてもらいたい。

それが三沢選手に対する最大の恩返しになるだろうから。
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by sagamicon | 2009-06-15 00:51 | プロレス関連

信じたくない

まさか、まさかの訃報。

全日の若手時代、2代目タイガーマスク、超世代軍、そして四天王プロレス、ノアと見続けてきた

自分にとっては「嘘であってほしい」としか言えない。

<プロレスラー>三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島
6月13日22時1分配信 毎日新聞

 13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。広島県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。

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by sagamicon | 2009-06-14 00:22 | プロレス関連

羨ましい

ノアと帝京平成大学が提携 三沢、小橋らが講師として教壇に立つ

↑自分の学生時代にこういう講義があったら部室でファミスタをしてサボらず毎回最前列に座っていただろう。
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by sagamicon | 2009-02-13 19:24 | プロレス関連

あれから10年

全日本プロレスの総帥、G馬場さんが亡くなってちょうど10年。

時が経つのは早いものです。

現状のマット界は総合格闘技に押されていますが。。。

全日本プロレスのキャッチコピーが今思えば非常に懐かしく感じます。

「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」
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by sagamicon | 2009-01-31 23:54 | プロレス関連

6月26日といえば

a0031795_18304183.jpg今から31年前の今日、プロレス、格闘技界のみならず世界が注目した世紀の一戦、アントニオ猪木VSモハメド・アリが行われた。試合は当時、茶番だ何だと言われながら時代の変化とともに真剣勝負だからこその膠着だとか見方も変わっていきました。またアリ側がバンテージに石膏を仕込んだとかセコンドが猪木側に不穏な動きがあれば拳銃を発砲するんじゃないか?などのエピソードも語られるなど試合に関しての話は今でも語り継がれるほど。
そんな中、今年の3月に発行された「1976年のアントニオ猪木」は一連のアリ戦や格闘技世界一決定戦を推進していった猪木・新日本プロレスの知られざる情報もあり必読の書かも。
ただ書いてある内容(暴露的な部分)については信じる信じないは自分なりに解釈した方が良いでしょう。
しかし30年以上も過ぎてもこういう本が出るということは猪木の存在感や影響力というのは未だに衰えないのかなと思う。力道山、馬場、猪木に継ぐスターというのは時代の変化とともに出にくくなっているのだろう。
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by sagamicon | 2007-06-26 18:31 | プロレス関連

週刊ゴング

週刊ゴング廃刊寸前…プロレス&編集ド素人社長が粉飾

このニュースを読んだときはビックリしました(*_*)
プロレス雑誌の老舗で長く週刊プロレスとの2大専門誌として頑張っていたのに。去年の夏ぐらいからσ(・_・)も情報としては知っていましたが公になると驚きます。
小学4年生の頃から週刊ゴングの前身、ゴングや別冊ゴングを購入していたので・・・・。
総合格闘技に押されてプロレス界は冬の時代と呼ばれていますが興行会社の人気が落ちれば自然と業界の媒体誌(紙)も落ちていくという事ですな。
週プロのターザン山本に対抗して週ゴンはGK金沢が編集長として頑張ってきたが試合リポートや企画などで週プロに負けていたのは事実。仕事の家計で会場にも行く機会も減り雑誌も購入する機会が減りましたが学生時代から社会人時代は週プロ、週ゴン、ファイト、東スポなど買っていました。インターネット全盛になり試合結果などは雑誌の発売を待つまでも無くリアルタイムで情報が入る時代になったので環境的には難しくなったのでしょう。
それにしても<ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか>と言われたように雑誌としての特色が強かった時代もあったのに本当に廃刊にでもなったら残念です。
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by sagamicon | 2007-02-19 20:49 | プロレス関連

大木金太郎さん死去 

今朝の新聞で危篤状態ということが報道されていたので驚きはそれ程ではないが、やはり一時代を築いたレスラーの死というのは悲しみを覚えます。
大木金太郎と言えばアントニオ猪木との試合がまず名勝負として思い浮かびますが当時はまだテレビで見ていない時代で全日本プロレスでタイガー戸口(キム・ドク)とコンビで戦っていた時代以降しかリアルタイムでは知りません。レスラーの晩年は国際プロレスにも上がったが最後は全日本プロレスでインターナショナルヘビーのベルトを返上(政治的理由)したが大木選手の寂しそうな顔は当時小学6年の自分にも伝わりました。
今考えると大木金太郎はG・馬場、A・猪木と並んで若手3羽烏と呼ばれていたが決してスターには成れず馬場、猪木が全盛時代の引き立て役?として扱われたような気がしてならない。
猪木が1974年に蔵前で名勝負を演じたあと、G馬場も翌年に同じ蔵前で対決。馬場にしたら絶対に負けは許されず猪木との格の違いを見せ付けるために猪木が要した試合時間(13分13秒)の半分(6分49秒)で仕留めてしまった事など自分の知る限りいくつかある。
人生の晩年は病気療養で辛かったでしょうがこれでユックリと過ごすことが出来るでしょう。静かに天国で師と仰ぐ力道山、そしてG・馬場と日本のプロレス界を見守って欲しいです。 合掌。
 

大木金太郎さん死去 必殺の頭突きで馬場、猪木と激闘 
死去した大木金太郎さん(元プロレスラー)
NWFヘビー級選手権試合で、アントニオ猪木(左)と対戦する大木金太郎さん=東京・蔵前国技館
 必殺技の頭突きで日本と韓国のプロレス界で活躍した元プロレスラー、大木金太郎(おおき・きんたろう、本名・金一=キム・イル)さんが26日、ソウル市内の病院で死去した。77歳だった。病院関係者が明らかにした。糖尿病や内臓疾患などで長期入院していた。

 1929年2月、韓国全羅南道生まれ。58年に故力道山にあこがれ、船員として貨物船に乗り込み日本に密入国。拘束されるが、力道山が身元引受人となり、59年日本プロレス(当時)に入門。故ジャイアント馬場、アントニオ猪木とともに若手三羽がらすとも呼ばれた。63年に米国遠征。65年には韓国でプロレス興業を成功させた。72年にボボ・ブラジルを破りインターナショナルヘビー級王座に就いた。日本プロレス分裂後は全日本、新日本、国際の各団体に出場。「猛虎」の異名で馬場、猪木と激闘を重ね、韓国での後継者育成にも力を注いだ。

 95年には東京ドームで日本での引退式が行われた。(共同)

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by sagamicon | 2006-10-26 18:31 | プロレス関連